【梅原トレーナーのからだづくり哲学】子供の遊び場《公園》を皆で考えよう(下)

スキルアップ 指導法 梅原 淳 育成法

(承前)

子供の遊び場《公園》を皆で考えよう(上)

子供の遊び場《公園》を皆で考えよう(中)

公園で子どもが自由に遊べないという問題を考え、ひとつに目的別の公園施設を新しくつくること、もうひとつには親が子どものための住まいを考え、外で遊べる住環境を探すことを進言申し上げた。

社会がダメだ困ったと言ったところでどうしようもない。これからの時代は望みに叶う住環境を見つけることを、自分で積極的に求め動いていく努力がより一層必要である。

ではあなたは、どこに居を構えて生活をするか。

▽我が家の周辺環境

現代的生活では、交通の便が良いとか仕事場が近いとか、買い物をするのに困らないとか、そういう基準で選ぶことが多いと思うが、日本中が同じく整った環境にはならない。

便利な場所と不便な場所があり、自分の生活にとって都合の良い場所と悪い場所ということもあるだろう。

この子どもの遊び場の問題についても、窮屈な地域もあれば自由に遊べる地域もあるということだ。

私が以前住んでいたアパートの真後ろにある公園では、元気なお爺さんたちが毎日早朝に野球をしていたし、そのあとの時間にはさらに歳が上の爺婆がゲートボールをして余暇を楽しんでいた。

現在住んでいる地域には田んぼが広がり、車移動にはなるが芝生を丁寧に刈っている大きな公園もある。区役所の裏にも同じく手入れされた管理者の常駐する公園があり、ときおり車で出かけていって幼い我が息子を遊ばせている。

まだ遊ぶと言っても落ち葉を手に持ったり少しハイハイしたり、周囲の人を眺めたりするだけだが、とにかく空の下で、障害のない広いスペースを自由に使わせてあげたいと思って連れて行く。

また妻の職場が自宅から車で5分ほどのところにあって、その隣に野球場がある。休日などにチームで練習や試合をしているが、特定のチームだけの所有地ではないようだ。

当然区の管轄だと思われるが、空いているときは老若男女が皆自由に使っている。ついこの間などは下校してきた小学生が数人で野球をしていた。

▽何を言いたいか

我が家は電車の駅も遠いし、畑が広がり道や下水も立派に整備されてはいない。大きなショッピングセンターも車でしか行けない。しかし今話しているような子どもの遊び場について言えば、都市部の住宅密集地域のような苦しさはない。

都市部もこのようになれば良いと思われるだろうが、すべての場所が同じようなスタイルで暮らせるかと言うと、どうだろう。インフラも人口も暮らし方も、本当は違っていて当然と言うか、それが必然のことである。

生活にどのような環境を求めるかは人それぞれに考えや理想があり、価値観も違うから日常の過ごし方も様々で、それをすべて画一には決してできない。

都会も田舎もそれぞれにできることできないこと、便利なこと不便なこと、その地域によって活用の仕方や行動パターンにおけるまで同じではないということを受け止めなくてはならない。

▽結論として

都会には必要でも田舎では不要なことがある。またその反対もある。

それらは無くならないものであり、特徴であるので、子どもの公園についても本気で考えるならば、希望の叶う地域を探し求めるしかないと思う。

別の理由と都合で今の地域に暮らしていて、そこで遊び場ができてほしいと皆願うが、土台無理な話なのかもしれない。

そのような地域ではおそらく、生活へ求めるもの、人生の時間の求め方が違っている。コミュニティも小さく、人の関わり方がとてつもなく薄くないだろうか。

他所から人が引っ越してきて、また別の人が今度は他所へ出て行く。地盤を持たない生活スタイルの人が、日にち毎日、次から次へ出たり入ったりする。

地元でもなく、何年住むかも分からない、家やマンションは買ったが、その選択基準は大人にとって行動の便が良い場所だ。子どもの外遊びを考えてはいない。

そのような地域で公園が荒廃するのは自然の流れだったのかもしれない。

▽現実路線で考えると

地域ごとの色というものはそう容易く変えられるものではないので、自分たちで動いて希望の生活を実現できる場所を見つけることが必要だろう。

理想は社会の流れがまた元のように皆が優しくなることであるが、現実には棲み分けをしていくことが、前へ進む道だと考える。

ではこのあたりにしたいと思う。あなたはどのように思われるか。

どうぞ考えていただきたい。

(了)

 

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