【梅原トレーナーの體づくり哲学】「今の日本の子供たちに運動する力を自ら磨き伸ばす力を蘇らせよう」その5

スキルアップ 指導法 梅原 淳 育成法

日本人がオリンピックで活躍する姿、ワールドカップで優勝するニュースを見れば、日本中が盛り上がる。

それが知らない競技であっても夢が広がるし、自分と同じ競技であればなおさらだ。

だからというわけではないが、近年習い事の低年齢化が進んでおり、評論家や専門家のなかには警鐘を鳴らしている人もいる。

これが良くないのは、歳が若いうちからということもあるが、それよりもっと深刻なことは、人よりも抜きん出るために技術力を早く向上させていこうと、本人よりはむしろ大人が息巻いているような状況にあることだ。

これは幼少期から固定化された「スポーツ」を始めてしまうことと、根っこで深く繋がっている。

親が始めさせてしまうという言い方もできるし、スポーツクラブがそれを取り込もうとしている側面もある。

子供自身の意思よりも、そうさせたい大人の願望のほうが膨らんで、頑張って教えるし頑張って塾やクラブチームに通わせるし、親やコーチが懸命に尽力している。

とくにこの10年くらいで、小学生から始めるスポーツ教室のような形態の習い事が増えた。

バスケットボールだけ見ても、全国のあちらこちらでクラブチームやスクールが運営されている。

▼運動が「子供の遊び」だった時代

今の日本の子供たちにまつわるスポーツ事情は、危機的状況にある。

運動能力の低い運動競技者が、高校レベルでもたくさんいる。

それは幼い頃からスポーツ教室でレッスンされるからであり、またそれがビジネス化してしまったからに他ならない。

日本には小学生の運動クラブとして、スポーツ少年団という活動があるのをご存じだと思う。

昔のスポ少はボランティアで運営されていた。地域の集まりであり、近所の大人が仕事の合間にコーチをしてくれていた。

また子供もその一つに限定されず、野球のスポ少に入っていても、他に友達とドッチボールもするしサッカーもするし、スキーも鬼ごっこも隠れんぼも鉄棒も、體を動かす事はなんでもしていた。

本気の遊びであって特定の競技者ではないので、自分のしたい事をしたい時に、自由に好きにやっていたものだ。

それは今の子供のような、お金を払って教えてもらう塾の形態とはまったく違う。ここに天と地ほどの差がある。

自分がしたいからするのであって、コーチにこの動作を覚えろこのプレイを成功させろと要求されていない。

好きこそものの上手なれ、自分でやればなんでも覚えられるしどんどん上達する。

難しくて上達に時間が掛かっても、精神的な苦痛などまるで感じない。

自分より上手くできる年上の人がやっているのを見て真似したり、大人と一緒にやって慣れていったり、スポ少で教わる場合でも試合結果を要求されてやっていないので、細かく動作やプレイを限定されることはなかった。

だから身についた運動技能は、すべて自分で覚えたものということになる。

▼ゴッコ遊び

さらに肝心なところは、競技規則が定められているスポーツではなくて、大雑把な決め事の中でそれっぽいことをする「ゴッコ」ということだ。

子供時分はすべて、野球っぽい遊び、スノーボードっぽい遊び、ドッチボールっぽい遊びだった。

最近私は妻の実家へ行くと、親戚の子供たちと一緒にバスケットボールをして遊ぶ。

押入れの襖を開けて、そこにアンパンマンのゴムボールを入れたら勝ち。

実際は私が守る一方で、小学生の女の子2人がパスしたり走って逃げて、ボールを放り込む。

それだけだが、子供たちはバスケットしようと誘ってくる。つまりバスケットっぽい遊びだ。昨年の夏に行ったときも、ギャーギャー騒いで楽しそうにしていた。

もっと以前には、バットとゴムボールを持って小学校のグラウンドへ行き、打ってどこまでボールが飛ぶかの野球っぽいことをして遊んだ。

ベース一周を何秒で走れるか、投げてどこまで届くか、全部なんとなくのチャレンジ。

元気な小学3年生の女子が熱中してたのは、やはりバット。

一番難しいから、やりがいがあったのだろうと思う。

野球の真似ごとだが、決して野球ではない。自覚があったとしてもあくまでゴッコであり、遊びだ。

遊びであればなんでも本人がしたいように好きにしたらいいのであり、子供はより難易度の高いものに自然と挑んでいく。

現代的なところで言う、スポーツとしての野球もサッカーもバスケットボールもしていない。

ただただ運動課題に挑戦しているだけなのだ。それを幼い頃から教室やクラブチームへ通うから、させられることになる。
教わるから面白くない。変に細かく指示通りに動くことを要求されるのは、小学生には苦痛だ。子供はなんでも自分でやってみたいのだから。

大人が管理する部分も必要ではあるが、挑戦する環境を提供すれば良いのであって、それは本来ボランティアで構わないのだ。

▼家庭の力がもっとも重要

私からもし提案をするならば、二つのことを僭越ながら申し上げたい。

ひとつにはスポ少つまりクラブチームは勝ち星をつくるための活動から離れて、運動技術を伸ばすための稽古・練習に主眼をおくこと。

スポーツ教室の場合は、習い事であることは問題ないとしても、これもとことん一人一人の上達に力を注ぎ、その評価は子供自身が決めるかたちであることが望ましい。

これらにおいて重要なのは、チームやコーチが基準や評価を決めることをやめて、子供自身がどのくらい伸びていくかを自ら楽しみにするような環境にすることだ。

そして私の考えとして、子供が体力を取り戻すために一番大事なのが「家庭」だ。

日本人の生活スタイルも時代とともに大きく変化しているし、これからもさらに変わっていくことは止めようもない。

遊ぶ広場も少ないし、近所からはうるさいと苦情もくるし、変質者に襲われることも本気で心配する。

しかしやはり人間の心身の成長において、最も影響があるのは幼い頃からの家族との生活にあることは間違いない。

健全でちからみなぎる體の成長も、ご家庭の家庭環境や教育あってのものだと言える。

あまり幼い頃から特定のスポーツ競技に限定したり、上手くなる強くなることに欲を出さず、もっと言えば子供のしたいように勝手に遊ばせてあげてほしい。

大人が躍起になってあれやこれや教えたり、やることを大人が決めようとしたりしないで、どうぞ子供自身のしたいことをしたいままにさせてあげてください。

そして出来の良い悪いを、決して親が言ってはいけないということ。

どう満足するかは、やっている本人が決めることなのだ。

子供のやることに関わるとどうしても大人が基準を作ってしまい、その評価をしてしまうので、親は干渉しないことが原則である。

子供の遊びは子供のもの、その時間はその子の時間なのだから。

誰にも邪魔されず、自分の興味関心で自由に伸び伸びと体験し挑戦していく幼少期を過ごせば、運動の感性はたくましく育まれていくはずだ。

この本題における究極であり核心の答えは、大人が関与することをやめることにある。

子供同士、家の中や外でおもいきり遊び、おもいきり體を動かして楽しく鍛えていくこと。

またスポ少や運動の塾なども、試合で勝つことを排除して子供が自ら勉強することの手伝いをするような本来の習い事のかたちに戻すことだと、付け加えておきたい。

自らの感性にしたがって力強く駆け上がっていくちびっ子たちを、そっと見守っていきましょう。

この記事を書いた人:梅原淳梅原 淳
運動技能を向上させる専門家として、またバスケットボールでのファンダメンタル・スキルを教えるコーチとして全国各地に出向いています。またその活動から得た日々の思考や発見を、YouTubeなどSNSを活用して情報配信しています。このコーナーで扱う内容は、それらSNSでは記さない一歩踏み込んだ情報として、トレーニング実践レポートをはじめ自分の育て方、大人の再教育、子育て、健康づくり、みなぎる食事など、あらゆるジャンルをテーマにお届けします。