【梅原トレーナーのからだづくり哲学】日本の若者よ、もっと出しゃばろう

スキルアップ トレーニング メンタル 指導法 指導者 梅原淳 育成法

私は日頃、日本の中高生と部活動で顔を合わせている。そこで見ている子どもらの姿は、学校生活のわずかな一面と承知している。

それはよく理解しつつ、それでもみんなのありのままの様子を、一端は把握しているつもりでいる。

たった今の子らの姿を追いながら、運動の専門家の端くれとしてもっと、もっともっともっと、自分の思考と行動を発揮してほしいと願わずにはいられない。

日本の教育とは、すべてに正解があり(正確には模範解答があり)、すべてに辿る道筋がある。良いとされるモデルがあって、それを最初の一歩から途上からゴールまで、きっちりすべてつくられている。

だからそれを全うするか、外れるかしかない。変な話、きちんとしている者とダラしない者にはっきりと分かれてしまっている。

その中間のタイプがいないのだ。

▼両方を兼ね備えた人

強く自意識と生意気さをもち、かつ礼儀作法もあるなんていう人間が、果たして今いるだろうか。

社会的マナーや礼節は当然の事として守り、でも自分の意見や主張は臆せず発言するようなタイプは、理想のようでじつは当然なのだとも思う。それが現代では稀な存在となっている。

ではいったいなにが足らないのか。兼ね備えた者がどうしていないのか。

それが教育の結果だとするならば、教育の現場は何を育む必要があるだろうか。

▼責任ある発言を尊重する

日本の社会は子どもに意見を言わせない。言わせているとすれば、ただ単に身勝手な振る舞いを大人が収めることができず、好き放題させている場合だ。

モデルに従い、大人に都合の良い、いわゆる「お利口さん」とされる子どもの意見は聞かない。

聞かない前に、言わせないし決めさせない。すべて大人が「こうしなさい」と指示をする。

それは真逆じゃないですか?

若気の至りで人付き合いも社会マナーもデタラメしている不届き者こそ、しっかりと抑えて道理を叩き込むべきでしょう。

やっていることが逆さまだ。

▼若者はもっと勉強して意見しよう

私は自立を一本の柱として、子どもらと日にち毎日交流をしている。

もっとこうした方が良い、次はこうやろう、そんな自分の考えでオリジナルな青春をおくっている子どもはほとんど見受けない。

その理由は、日常のほとんどがトップダウンだからに他ならない。

トップダウンが悪いとは言わない。だが確実に、大人から子どもへの一方通行しかないために主体性は無くなっている。

もっと子どもらが、学校生活や家庭内で意見を言えて、考えを反映できる環境づくりをすべきだし、どんどん若いうちから仕事をさせて役割を任せ、責任と権限を持たせて自立への訓練をしたほうが良い。

若者たちはもっと積極的に思うこと、したいことを話し、全体に貢献できる役割を担ってもらいたい。

それは子どもから大人への発言のときもあれば、子どもらの中で後輩から先輩へのときもあるし、グループの中で新入りが声をあげるときもある。

どの立場だとものが言えて、すべてを決めることができ、好きなように振る舞えて、周囲を自分の都合の良い色にしていける、そんなものは正当ではない。

全員がフェアであるべきだ。

だから若者は、年齢などに寄らず仕事を担うために、そして全体が良くなるべく意見を出すために、しっかり勉強して正しく詳細な知識を得てほしい。積極的に経験を積むことも大事だ。

▼意見と出しゃばりはちがう

大人だから教える立場、子どもだからすべて言われるがまま従う立場、それが成立しなければ放り出して無法をさせる。

手に負えないときは見て見ぬ振りですか。

辻褄が合わないでしょう。

社会性を身につけることと、意思を持たせないことはまったく違う。

「君はいま、何に向かって歩いていますか?」

この質問に自分の夢・目標を語れる小中高生がいるだろうか。きっと大学生だって。

今の子らだけじゃない、すでに私たちだって自分で描く夢より社会的にベターな道筋を押し付けられて育っている。

世の中には一般的に良いとされるモデルがある。それに沿わせることばかりで、自分で生き方を考えさせない。

そんな現代日本の当たり前が、「下の者が意見を言うのは出しゃばり」という考えを生んでいると、どうしても考えてしまう。

「僕はこう思います!」

「私に提案させてください!」

全体が良い方へ向かうために、どんな人の意見でも貢献するための提案なら貴重だと思いませんか。

▼本当の出しゃばり

私たちは有意義な意見には耳を貸さず、場を荒らすだけの無責任な思いつきには従う。

それはトップダウンの悪い面を象徴している。

遠慮する必要のない立場の者は、自分が汗を掻くわけでもないのに無責任な事を平気で言ってしまう。

任せておけば良いものを、どうしても自分を影響させたくて何でも口を挟んでくる。お呼びでないのに、不向きなのに、かえってミスリードするのに「自分の意見」を通したがる。

それは意見などではない。ただの個人的な好み、都合である。

その良い例が、大人が子のすることに何でも介入して決めるというトップダウン的行動なのだ。

子ら自身に考えさせ、決めさせ、責任を持たせ、その結果を引き受けさせることは、大人が「出しゃばらない」ということを意味する。

▼みんな、もっと出しゃばろう

意見を言うのは出しゃばることでは、まったくない。考えを伝えて、提案をして、役に立とうとして一体なにが悪いのか。

それは入りたての新参者がしてはダメなのか、子どもが意見することは道理から外れるのか。しっかりした考えと意欲と、責任を負う覚悟を決めているのに。

大人こそ出しゃばらず、もっと日頃の行き過ぎを見直すべきだろう。いたずらに勝手をするのは、かえって全体を悪くさせる。

このレポートを読んでくれている子たちは、どうぞ、もっと自分の考えと共に「こうしたい!」の意欲で自分の道を歩いてください。

たくさん勉強して、世の力になれる知識と経験を積んで、あなたの尽力によって周囲を幸せにしてあげてほしい。

だから若者よ、もっと出しゃばろう。

(了)