【梅原トレーナーのからだづくり哲学】 スポーツ科学と現場経験を繋げてこそ成功が見える

マインド(脳) 梅原 淳

科学的根拠に根ざしたスポーツトレーニングは、成果のほどをより高くまた着実に伸ばす上で有意義である。

当てずっぽうに練習するよりも、根拠なくからだづくりをするよりも、少なからず知識を得て、的を射た修練をするほうが良い方向へ進める確率は上がる。

ただしそれは成功を確定するものではない。

Aの方法で答えが出るのにそれを知らず、ずっとBの方法を取り続けて先に進まないことを解消するために正しい理論と方法が価値を持つのであり、それは探究してこそ意義がある。

まだ困難に直面していない者が、より効果的でもっと上達できる技術および体力の鍛え方を必要としていることは少ないかもしれない。

なにより、ゆっくりでも技量や成績が伸びているのなら、必ずしもそこに科学絶対をもってくる理由もさほど見つけられない。意味もなくエビデンスだの理論的だのと拘ることは、肝心要の目的を見失っている証拠だ。

経験は偶然ではない

科学や理論に相対するものとして「経験則」という言葉がある。自分で出してきた成功と失敗の経験を頼りにすることであるが、それが科学絶対派には「根拠のない偶然の結果」だとして、強い拒否反応を示す人が多い。

しかし実はこれが自身の成長や成功を阻んでいて、机上の空論となって自分だけが「(この方法で)正しい」と言い張るという、断絶的な態度を生んでいく。

教科書に縛られて、そこから自分で考えるという基本を忘れているのである。

経験則を排除する理論は役に立たない空論であり、理論を持たない経験則は思い込みとなる。

理論も積み上げたデータ、経験も積み上げたデータであり、どちらも立派な科学なのだ。

それは互いをリンクさせることでさらに良い成果をもたらすのであって、響き合う協力者となり得るものだ。

サイコロを転がして出た目を答えとするような、たった一度だけの結果を経験とは言わない。それには長い歳月の実践があってこその法則があって、そこで得られた失敗や行き詰まりは検証と工夫をもたらし、挑戦すればするほど知恵が増える。

それのどこか偶然の結果だと言うのか。経験とはその真逆を言うのである。

科学的根拠の証明は現場での「結果」

人のすることであるから必ずミスや過ちは生ずるものだが、問題なのは右と左に分かれて睨み合ってしまうところにある。

皆なににつけ「バランス」などと口では言うが、実際の人の思考はひとつに偏り、向こう側の存在を否定している。

否定することで自分を成り立たせようとする。

そうするともはや正解不正解ではなくなり、全体を無視した孤城と化してしまう。

科学や理論の対極が経験則なのか、経験則や現場主義の対極にあるのが科学や理論なのだろうか。

すでに睨み合っていること自体が矛盾していると理解できた人は、多くの知識と経験をよりよくスポーツまた人生に活かすことができるだろう。

よく言うリテラシーとは、お互いを結集した努力の結果を言うのである。

スポーツにおいて現場経験を無視した知ったかぶりは増えているが、成果が出てはじめて科学も理論も正解となるのであり、自分自身では結果を出せずして人の言葉だけ借りるのはまさに空論なのだ。

ただし現代のネットの世界(SNSなど)では、これらの論調が増えているので信じ込んでしまう人も多くなる傾向にある。

ふたつでひとつ

経験則と理論は、真ん中に線を引いて否定し合うものではない。どちらが正しいかのイスを取り合うことが、すでに大きく道を誤っている。

どちらにも重要な利点があり、陥りやすい欠点もある。それぞれの良い面をうまく活用しまた掛け合わせていくことが、成果結果を生み出すただひとつの方法であると知ろう。

結果の出ない科学や理論は意味を成さず、結果の出ない経験則も不要である。

両面ではなく片面でものを見ること、共存しないことは独善であるので、そこから脱して繋がり合っていることを理解し、すべてを活かして成長への道を力強く前進していかれることを願う。

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