今の日本の子供たちに、運動する力を自ら磨き伸ばす力を蘇らせよう その3

スキルアップ トレーニング 指導法 梅原淳 練習メニュー 育成法


近年、子供たちの運動能力低下が叫ばれている。

遊ぶ場がなくなった、家でゲームに没頭している、公園の遊具が危険だからと撤去されてしまう、大人が競い合うことを禁止している、などなど様々なことが言われている。

外的な影響だけではなく、赤ん坊のときの生活に原因があると論ずる専門家もいる。

しかし私はまったく違う観点から、それを考えてみたいと思う。

▼自分の五感を働かせない子供

私が子供たちに運動を教えていて、とくに近年一番に実感することは、本人による運動感性の発達が見られないということだ。

教えることで当然、体力と技術は良くなっていく。

それはコーチが頑張って教えたり、とことんやらせたりするからだ。

指導者側が汗を掻いた分で良くはなるが、彼らの感性が磨かれているものではない。

自分で研究し、自分で勉強する感覚というものを、近頃の子供からはほぼ感じない。

事実こちらの範疇を超える伸びを見せる選手はあまりいなく、やってもやってもなかなか身につかないものだから、コーチが頭をひねってコーチの努力で成長させてあげることになる。

これは実際に学校の先生たちから聞いている話だが、球技大会や体育の授業において、たとえばバスケットボール部の選手がバレーボールやサッカーなど他競技をしたときに、その様子がまるで素人かのごときドのつく(ぶきっちょう、不器用、拙劣、不格好)であり、存在感すらないことがあるという。

競技が違えど同じ体を使って表現する「運動」であり、バスケットボールが上手にできれば他競技もある程度は必ずやれる。

その競技だけの特別な運動というものはないので、運動の得意な人であれば見よう見まねだけでもかなり際立ったプレイを見せることもある。

▼運動は自分で発達させるもの

ただしそれには、自分で感覚を見つけて自分で上達させることが大前提となる。

速く走るという能力を自分で身につけた人、高く跳ぶという能力を自分で身につけた人、遠くへ投げるという能力を自分で身につけた人、そういう人たちはバスケットボールの「こんな感覚で」を自分で掴むことができる。

本格的にバスケットボールのスクールや部活へ通ってレッスンを受けなくとも、自分のいま持っている運動感覚を駆使して色々と試し、専門家同様のパフォーマンスを発揮することができる。

体育の授業で、野球部なのにバスケットボールが上手とか、男なら誰でもサッカーをそこそこ格好つけられるとか、違う競技の人間でも自分でやりこなして冴えたプレイをする友達が、あなたの学校にもきっといたことだろう。

すべて同じだ。

サッカーボールを強く大きく蹴ることの技術、野球での左右へボールを打ち分ける能力、柔道の相手の動きを逆手にとって投げる身のこなし、水泳の様々な泳ぎ方なども。

すべては自分自身で探究することによって習得することができ、そのレベルの高さも本人がどのように求めるかによって変えることができる。

運動というものは、自分で感覚を鍛えていくことが基本なのだ。

その力がいま薄れており、長く続けている競技は上手だけれども、教えてもらったことのない競技はからっきしということが、実際に起きているということだ。

▼コーチにできるようにしてもらっている選手たち

こうなってくると、自分では運動感覚を高めていくことができないため、他人が必死になってコーチすることになる。

本人が上達するのもしないのも、コーチの手腕如何ということになる。

選手本人たちは下手なままでも余裕しゃくしゃくで、コーチは育てるために躍起になっている。

それが昨今の指導のやり過ぎの問題に、一端では繋がっていると考える。

個人的な話になるが、私が子供の頃は学校の先生やスポ少のコーチから、運動の仕方について手取り足取り細かく丁寧に教えてもらった記憶はない。

ただ練習メニューとそれをさせてくれる機会があっただけで、運動のできない人間のためにより洗練されたメソッドが出てきたということは経験がない。

どのチームでもする基本的な練習を、我慢強く地道に繰り返すというのがほとんどだ。

細かい指導をするコーチはいたが、それが正しかったのかは定かではないし、誰に対しても一律に言うアドバイスであって、それで上手くならない選手へ別の練習方法が取られたわけではない。

比較して現代は、コーチがとてもよく工夫しまた勉強している。

できない選手たちのために、様々な練習方法を試してくれているし、伝え方の工夫も日々行われている。

コーチたちは教えることを大変よく頑張っている。

結果、ますます子供たちは自分で上達することをしなくなるのだ。

 

鶏が先か卵が先かになってしまうが、どちらであってもいまの日本は負のスパイラルとなっていることは間違いない。

コーチが頑張るがゆえに子供は主体的ではなくなり、また子供が教えられることを前提として自ら身につけることをしないがゆえに、コーチはさらに教える手法を磨いてもっと手取り足取りほどこしていく。

運動は自ら実践し覚えていくものという原理原則の真逆を、私たちは進もうとしているのか。

ではなぜそうなのか。

子供が自ら学ばなくなった原因を、次に考えてみたいと思う。